みなさま、MHスクール校長の林みきです。
9月に入り、ラベンダーのシーズンが終わってしまったのですが、ラベンダーの田園風景と香りに癒されたくなり、急遽ロンドン近郊のハ—トフォードシャーのヒッチン・ラベンダーファームに行ってまいりました。英国のボランティア活動においても、使用する頻度が多いラベンダーの精油は、何故多くの患者さんに好まれ、また多くの人々を癒すのでしょうか?

1.ヒッチン・ラベンダーファーム
約20エーカーのヒッチン・ラベンダーファームでは、ラバンデュラ・アングスティフォリア、ラバンデュラ・ラティフォリア、ラバンデュラ・インターミディア、そしてラバンデュラ・ストエカスなどが栽培されています。ラベンダー畑では紫のラベンダーと、ところどころに咲く可憐なホワイト・ラベンダー、そしてヒマワリなども栽培されています。ラベンダーの紫とヒマワリの黄色とのコントラストも楽しめるようになっています。


 
2.カフェ近くのディスプレイ・エリア
ここでは約60種類のラベンダーが栽培されています。

3.ふもとからラベンダー株の間に足を踏み入れ、穏やかな斜面をラベンダーの摘み取り

4.ドライ・フラワーにされたラベンダーを手作業でポプリ用の袋詰めをする女性

5.ラベンダー薬局博物館より
ここラベンダー薬局博物館には、ラベンダーの抽出法、ラベンダーの過去と現在の使用法、地方におけるラベンダー栽培の重要性、創設者であるウィリアム・ランソンム、ペルクとルウエルリンの歴史が紹介されています。

ラベンダーの歴史
ラベンダーの起源は、2500年以上前にさかのぼることができ、エジプト人がラベンダーで香水を作ったのが始まりだとも言われています。ツタンカーメンの墓が開かれた時に、ラベンダーを使用したと思われる跡が残されていました。ラベンダーはローマ人によってはじめてイギリスに伝わったと考えられています。また、戦闘の傷の手当てをするために使用されたとも言われています。ローマ人は、実際にラベンダーの多くの効能を理解し、また昆虫を撃退したり、料理したりするために役立てました。

ラベンダーは、1500年代、イギリスのエリザベス女王が使用していた香水の1つであり、また彼女の偏頭痛を和らげるための紅茶にも使用されていたと言われています。1665年にイギリスのペスト大流行の際にはラベンダーは、人々がペストに感染するのを防いだり、また感染した人々の治療にも役立つと考えられていました。フランスでは、16世紀のラベンダーは万能薬とされ、感染症を防ぎ、コレラを予防するとも考えられていました。

ヒッチン・ラベンダーの紹介
1500年代の早い時期、ヒッチンはラベンダーの生産者として地位を確立し、国内で2か所だけのラベンダー栽培地域のひとつとなっていました。1760年代、ヒッチンのラベンダーは、ハリー・パークスが薬局を設立したことをきっかけに、ビジネスとして成長しました。19世紀後半にPerks & Llewellynとして彼らはラベンダー製品の全国的な地位と名声を獲得しました。

ヒッチン・ラベンダー・ファームーでラベンダー水、バスソルトなどが作成されていた記録も残っています。1851年にウィリアム・ラムソンがビクトリア女王【エリザベス女王の曽祖母】にラベンダーオイルの贈り物をしたとも記録されています。

ラベンダー畑の復活
こじんまりした小さな市場の街だったヒッチンは、イギリスを代表するラベンダーの産地として16世紀よりラベンダーの栽培が盛んに行われていた土地でありました。ところが20世紀に入ると、生産コストの高騰に加え、ブランド価値の高いフランス産ラベンダーに押され、ヒッチン・ラベンダーの栽培は衰退を余儀なくされました。現在のラベンダー畑に復活させたのは、5世代、100年以上に渡り農場を経営してきたカドウエル・ファーム(Cadwell Farm)でした。花から取れる精油の採取を目的としてラベンダーを栽培したのは2000年のことです。その美しさは、地元住民の間に話題になり、訪問客が訪れるようになりました。2009年より夏季シーズンにヒッチン・ラベンダーとして一般公開されました。ラベンダー畑の田園風景を楽しめるだけでなく、ラベンダー摘みも楽しめる企画もされ今では人気のラベンダー・ファームです。

2012年、エリザベス女王即位60周年「ダイヤモンド・ジュビリー」を迎えた6月14日、ハートフォードシャーの小さな街、ヒッチンを女王が訪問しました。セオドア・ダイ(Theodore Dye)という青年が、ヒッチンで採取されたラベンダーとヒッチン・ラベンダーのオリジナル・ラベンダーが入ったバスケットを女王に献上したと記録されています。セオドア青年の先祖は、ウィリアム・ランサム(William Ransom)です。英国でもっとも古い自営薬局の一つといわれる店を経営していたウィリアムは、ヒッチンラベンダー栽培普及に尽力し、ラベンダーオイルを精製、販売していました。ウィリアムの精製する上質なラベンダー・オイルは、薬局で販売されるだけでなく、他社ブランドに盛んに提供されるなど、人気のラベンダーオイルでした。

6.17世紀の納屋の横でピクニックを楽しむ家族

7. ハートフォードシヤー、サンドリッジの英国パブ

8.サンダーリッジにあるウィリアム・クラークスの記念碑
William Clarkson (1760 ~1846 ) 1807年に英国の奴隷制度を廃止した人物

9.イギリスの一番最初のターンパイク・ロード(有料道路)

10.アイスクリームバス

11.帰路の途中で空を見れば

このように、ここを訪れて改めて感じたことは、ヒッチン・ラベンダーが16世紀から数世紀にも渡って栽培されてきて、一時は衰退の危機に見舞われながらも、それを乗り越えることができたのは、ラベンダー自身が持つ様々な性質と、それに魅了された多くの人々がいるからだろうということでした。
ヒッチンでのラベンダービジネス衰退の危機に瀕したときに、精油という形で人々にラベンダーを届けようとしたこと、そしてその栽培を通じて、結果的にラベンダーがヒッチンの広大な土地に根付き、その圧倒的な美しさに、そこを訪れる人々の視覚や、嗅覚を含めた五感に、癒しを届けたであろうことは容易に想像がつきます。ぜひ皆さんも、夏にイギリスを訪れる際には、ヒッチンラベンダーが一般公開されている時を選び、実際ラベンダーを感じて頂けますように。